私は幼少の頃、よく父にキスのボート釣りに連れていってもらいました。
その影響で釣りが好きになり、父が「釣りに行くけどいくか!?」の問いかけに2つ返事で「行く!」と答えていました。
ある日、いつものようにキス釣りに連れて行ってもらった時に、私は少しもの足りなさを感じました。
それは、釣り上げたキスをバケツに入れて釣りを続けていて、ふっとバケツに目をやるとキスが腹を上にして死んでいるではありませんか。
釣り上げた魚をバケツに入れて元気に泳ぎまわる姿を眺めるのが好きだった私は、だんだんキス釣りから遠のいていきました。
すっかり釣りが好きになった私は、今度は近所の池のマブナやコイ釣りをするようになりました。
淡水魚は海水魚と違ってバケツに入れても弱らないので、それを見ているだけで非常に幸せな気持ちになれたのを思い出します。
釣った魚は時々家に持ち帰って、自慢げに親に見せたけど迷惑がられてガッカリしたり、親の反対を押し切って無理やり飼ったりもしました。
小学校時代は殆ど近所の池でコイ・フナ釣りをしていました。
小学校の後半から中学校時代はヘラブナにはまりました。
ヘラブナ釣りは微妙なアタリをとり、とても難しい釣りだということに惹かれました。
また、工作好きだった私は孔雀の羽浮きなんかも自作する入れ込みようでした。
今度は、私から父をヘラブナの釣堀に誘って行くようになりました。
父は色弱だった為、へら浮きのアタリをとるのが困難だったことを思い出します。
また、同級生にとても釣り好きなやつがいて、東京の水元公園,埼玉の円良田湖(つぶらだこ)や宮沢湖,千葉の印旛沼水系等に通いました。
その当時の思い出として印象深いのは、千葉の佐倉川にヘラブナ釣りに行ったときのこと。
朝から粘るも一向にヘラブナが釣れず、昼食をとった後段々と釣りにあきてきてなんか面白いことは無いかな〜と友人に話して見ると、『カエルは毛ばりで釣れるんだ』と彼は言いました。
季節は夏だったので、周りにはカエルがたくさんいました。
私は一気にカエル釣りモードとなり、早速カエル釣りの仕掛けを作りました。
葦の間に仕掛けを垂れて見ると、ものの見事に殿様カエルが釣り上がりました。
そして次に私がしたことは、何を考えたのかジュースの空き缶に道糸を結び、もう片方の糸をカエルの足に結んで川に放り投げました。
缶といっしょに川を流れることを想定していた私は、やった後すぐに後悔をしました。
私の考えとは裏腹に、缶とカエルは川の底に沈んでしまいました。
それを見ていた友人は、『なんて残酷なことをするんだ!!』と言って、バックの中からタコ糸とイカリ針を取り出しました。
川にはかなりの流れがあり、カエルと缶がどの辺にあるのか検討も付かない状態で、友人はそれ振り回して川に投げ込みました。
すると、なんと一発目で先ほど私が投げ込んだ缶とカエルを釣り上げてくれました。
私は友人のお陰で無意味な殺生をしなくて済みました。
そのことは今でもとても感謝しています。
ヘラブナ以外にも渓流のヤマメ・イワナ釣り,清流のヤマベ・ウグイ釣り,アユの友釣りと、淡水の釣りは一通り浅くですけどかじりました。
高校に入ると仲のよかった釣り仲間と離れることになり、一旦釣りからは遠のいていきました。
通学の駅のバス停で朝からメンツが揃ってしまい、そのまま雀荘に直行なんていうことがしばしばありました。
休みの日も雀荘に行って朝から晩までマージャン三昧でした。
何年も釣りをやらない時期が続きました。
どの位続いたでしょうか!?。
気が付くと私も酒を嗜むようになっていました。
酒の肴にも舌が肥えてきて、うまい魚を求めるようになりました。
丁度そんな時、街で久しぶりに中学校時代の同級生と会いました。
彼は中学校時代の釣り仲間ではなかったし、プライベートでも殆ど一緒に行動したことがない友人でした。
その彼の話によると、数年前からブラックバス釣りにはまっていて、バスプロになったと言う。
ブラックバスの実物を見たことがなかった私は、その釣りがしてみたくなり、彼に連れて行ってもらいました。
何回か連れていってもらいましたが、旨い酒の肴を求めるモードの私にはこの釣りにハマると言うまでには至りませんでした。
ブラックバス釣りの同行で親しくなった同級生がある日、『年に1度夏に地元の仲間と釣り船を仕立てて、真鶴にカサゴを釣りに行っている』と言うので、それを聞いた私は、
言うまでもなく『今度俺も仲間に入れてくれよ』と問いかけました。
彼は快諾してくれたので、それから数回に渡り年に1度のカサゴ釣りに同行致しました。
釣ったカサゴは帰ってきてその友人の家で捌いてもらい、酒の肴となったのですが、そのうまさったらありませんでした。
その味をしめてからというもの、月に何回か真鶴に通いました。
乗り合いは高いので陸っぱりからのちょい投げでカサゴを狙ってました。
けど、陸っぱりからではどうしてもあまり釣果が上がりません。
真鶴で貸しボート屋を見つけた私は、当然のことながら、ボート釣りを始めました。
仕立てた時にある程度ポイントを知っていたのが功を奏して、カサゴは順調に釣り上げることが出来ました。
次に始めた釣りは仕事の取引先の関係で磯釣りでした。
お得意さんに非常に磯釣りが好きな方がおられて、グレ・チヌ釣りを始めました。
以前からグレは引きの強さ、チヌはよくヘラブナ釣りに似ていると言われていたので、1度やってみたいと思っていました。
磯釣りの醍醐味は、なんといっても一気に消しこむウキとその後に訪れる強烈なひきです。
コマセの調合や付け餌とコマセの同調、潮の流れ方等を考えてやっと手にした1尾は格別です。
磯つりにもかなりの比重で入れ込みました。
磯釣りをやりながらもたまにはボート釣りがしたくなり、何釣りに行こうかな!?と思っている矢先に三浦半島走水沖の大アジの噂を耳にしました。
『走水のアジは豊後水道の関アジに勝るとも劣らない位美味しい』というものでした。
早速ボート屋情報を調べてアジ釣りに出かけました。
手漕ぎボートでは本場走水の大アジは狙えなかったものの、30cm以下のアジならば大津沖でさびきで十分に釣れ、その味も噂通り最高でした。
けれども、それを手にいれるには毎回毎回2〜3kmの道のりを手漕ぎで漕ぐ必要あり、だんだんと船舶免許が欲しくなってきました。
ある日いつものように連れと二人で走水にアジ釣りに出かけた時、前の日の深酒が祟って気持ち悪くなってしまいました。
ポイントに着きアンカーを下ろした後、濡れたボートの床に寝る為にカッパを履こうと立ち上がった私は、他のボートの横波を受け、バランスを崩してボートの縁に手を突いてしまいました。
次の瞬間、ボートが傾き手を突いた場所から水が入り始めアッという間にボートは転覆してしまいました。
幸い泳ぎが達者だった私と連れは大事に至らずに済みましたが、投げ釣りをしていた釣り人が『釣り船が転覆した。』と通報したことにより、レスキュー隊の車が10台近く出動しました。
どうやら10〜20人乗りの遊魚船と勘違いしたらしく、陸に上がった時には5,60人の野次馬に取り囲まれて、『大丈夫ですか!?大丈夫ですか!?』とたいへんお騒がせさせてしまいました。
これを教訓に私みたいな少し巨漢な人間は小さな手漕ぎボートなんかには乗ってはいけないんだと悟り、直ぐに船舶免許を取得しました。
免許を取得してからというもの、真鶴に走水、その他色々な場所で船外機をレンタル
して釣り三昧の日々が始まりました。
色々なタイプのボートに乗りました。
そうしていくうちにだんだんと自分のボートが欲しくなり、インフレータブルを購入しました。
なぜインフレータブルにしたかというと、インフレータブルは私が端っこに乗っても一切傾かないし、乗っていて安心感が同クラスの小型ボートに比べても全然あります。
よく、風に弱いという話を聞きますがそれもさほど気になりません。
ちょっと大きさの割には船内が狭いですが、これは艤装によって荷物をチューブの上に置くことが可能になるので、問題ありません。
チューブが水面に浮いているので喫水域も少なくスピードが出るし、コンパクトに折りたためるので未使用時には車に積載できるしということでインフレータブルに即決しました。
最初は車に積み込み現地までボートを運び、到着したら膨らませて釣りをして、釣りを終えたら岸まで戻って萎ませて車に積み込み、地元まで運んで、着いたら近所のコイン洗車場で洗車をし、家に着く頃には、もうクタクタで、とても動ける状態ではありませんでした。
それでも馴れればもう少し楽になるだろうと思い、3度程そのサイクルに挑戦しましたが耐えられず、2006年6月より三浦の三戸浜にボートを預けて釣りをしております。
これを機会に三浦半島三戸浜沖の釣り情報・ちょっとしたアイディア・ボート艤装・苦労談等を記録していこうと思います。
また、ポイントを知り尽くして、この界隈の釣りの案内が出来る名船頭を目指したいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。